大阪府天王寺区にある大阪の陣の最終決戦地『茶臼山古墳』に行ってみた!!
大阪市天王寺区の前方後円墳と云われる『茶臼山古墳』にやってきました!!
前回までの記事の一心寺、安居神社の側にあり、大阪を代表する古刹である四天王寺を中心とした観光にオススメのスポットです。
ここは大坂冬の陣では徳川家康が本陣にし、翌年の夏の陣では豊臣方の真田幸村が本陣にした事で有名な山だよ。
茶臼山古墳は、山の字が入る通り標高が26mで大阪五低山としても関西では有名ですね。
※他は天保山(4.5m)、聖天山(14m)、御勝山(14m)、帝塚山(20m)等があります。
本日は、茶臼山古墳の歴史を踏まえて簡単にご案内したいと思います。
ちなみにだけど、大阪の茶臼山古墳は有名だけど日本全国には約17箇所も”茶臼山古墳”があるよ!
▼アクセス
茶臼山古墳へは、もよりの天王寺駅からだと徒歩で約8分(600m)程なので歩いて行くことも出来ます。
この付近は駐車場も多いけど、都心なので駐車料金が少々お高いので注意だよ!!
〒543-0063 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1−1 天王寺公園内
大阪の陣の立派な石碑が建てられてます。
石碑横から山頂へと一直線に伸びる石段を登り、登山開始です。
石段は一段一段が広くて一歳児でも登りやすいよ。
石段を登り終えると未舗装の山道?になります。 すたこらさっさと更に進んでいきます。
そして、流石の大阪五低山の一角を担う低い山という事もあり麓から登山を開始して約1分で山頂に到着です。
山頂にある標高26Mを示す石柱があり、真田の家紋である六文銭と裏には徳川の家紋の葵の御紋が刻まれてます。
では、ここから「茶臼山古墳」の歴史を調べてみました。
▼古墳!?
茶臼山古墳の名の通り、この山は古来より古墳と云われており、この地で発掘されたと云われる石棺蓋が四天王寺に伝わってます。
が!しかし、昭和に行われた発掘調査では遺物が見られなかった為、古墳ではないという説が出てきたんだ。
しかし、しかし、更に2000年に入って行われた調査では石室らしきものが出てきたりと「古墳だ!」、「いや、古墳じゃない!!」、「やっぱり古墳だ!!」と二転三転しており、未だ古墳であるかの調査は続いているんだよ。
ちなみにですが、古墳派の説によると五世紀頃の豪族の前方後円墳と云われています。
▼安土桃山時代最後の決戦の地
この山が歴史の表舞台に出てきたのは安土桃山時代最後の決戦となる大阪の陣で徳川家康が本陣とした冬の陣、そして最終決戦となる夏の陣で真田幸村が本陣とした時です。
ちなみにだけど、戦国時代に細川晴元の家臣によって古墳の後円部に大塚城が築かれた事によって歴史の表舞台に引っ張り出されたんだよ。
前述の通り、徳川家康も本陣に使った山ですが、頂上に置かれるパネルには真田幸村に関するものばかりなのが気になります。
では、山を反対側に下山すると直ぐにお濠が見えだしました。
▼河底池
このお濠は、”河底池(かわぞこいけ)”と云い、平安時代の788年に和気清麻呂が、水運のために開削しようとして失敗した跡地と云われております。
恐らく、古墳時代に造られたお濠を拡充しようとしたんだろうね。
都心のオアシスと言いたいですが、正直綺麗な池では無いです。
橋からは通天閣も見えるよ。
▼さいごに
以上で、大阪府天王寺区にある大阪の陣の最終決戦地『茶臼山古墳』のご案内となります。
大阪の陣の舞台として大河で真田丸がやっていた頃には多くの観光客が訪れたスポットですが、今では地元の方の憩いの場に戻っております。
みんなも訪れてみてね!
▼最寄りの宿
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